「日本代表」が難しい存在である理由
目指すべきか、目指さざるべきか――岩政大樹の経験論
「現役目線」――サッカー選手、岩政大樹が書き下ろす、サッカーの常識への挑戦
■日本代表への覚悟を決めた
僕はそれからまた候補にも数えられなくなりました。センターバックには中澤佑二選手と闘莉王選手が定着し、サブには僕とはタイプの違う選手が呼ばれるようになりました。
初代表があまりにも悔しい思い出で終わった僕は、言い訳をしていた自分と向き合い、覚悟を決めました。
「1分でも日本代表のピッチに立つまで、言い訳なしに、日本代表を目指そう」と。
ただそれを、以前代表を意識していた時と違い、日本代表が求めるタイプに合わせるのではなく、「選ばざるを得ない結果を出し続けることで叶えてやろう」と。
それから、「日本代表復帰を目指す」と敢えて口にするようにしました。有無も言わせない結果を出し“続けよう”と言い聞かせました。これは誰か他の選手との競争ではありませんでした。自分自身に課した、自分自身との戦いでした。
結局、待望のデビューまで約2年を費やしました。失格の烙印を押された評価を覆すのはやはり大変でした。その日を迎えられる自信は何もありませんでした。ただ、僕の好きな言葉である「No Pain No Gain(痛みなくして得るものなし)」を心の支えに、苦しさと闘いました。今思えばこの期間が、僕の人生において日本代表を意識し、最もサッカーに打ち込んだ時期ではなかったかと思います。
サッカー選手をしていると、メンバー選考や評価のされ方に納得がいかないことはよくあります。サッカー選手として生きるということは、もしかしたら、そうしたものとの葛藤の中で自分と向き合うということなのかもしれません。
「自分はこれだけやってる」
「自分はこんなことをチームにもたらしてる」
自分がもっと評価されるべき正当な理由を挙げることは、誰にでもできるかもしれません。しかし、そんなことは大事ではないのです。
きっと僕たちは試されているのだと思います。監督にではなく、自分自身に、あるいはサッカーに。
結果から目を背けない覚悟があるか。矛盾も葛藤も全て引っくるめて、“続ける“ことができるのか。
僕はそんなことを日本代表という夢の舞台に挑みながら学んだように思います。
その後、岡田監督からザッケローニ監督に変わる中で定着とはいかないまでも、2012年まで日本代表と関わることができました。しかし、僕の中で、日本代表を「我がチーム」だと感じることは一度もありませんでした。
それはやはり、僕の中で自分の中にある劣等感に打ち勝てなかったからだと思っています。
僕のサッカー人生は常に劣等感との戦いでした。日本代表になれたことと、日本代表で力を発揮できなかったこと。そのどちらも僕で、未だにそれを自分自身でどう評価すべきなのか分からずにいます。